競馬というスポーツは残酷です。昨日の英雄が、今日には忘れ去られる。 しかし、ミルコ・デムーロという存在だけは、私たちの記憶から消し去ることなどできません。彼は単なる「勝ち星を稼ぐマシーン」ではありませんでした。彼は馬の魂と対話し、観客の心に火をつける「アーティスト」でした。
そんな彼が今、住み慣れた日本を離れ、カリフォルニアの空の下にいます。彼がなぜ愛した日本を離れる決断をしなければならなかったのか。一人の狂信的な「ミルコ・ファン」の視点から、その光と影の物語を紐解きます。
1. 黄金の旋風:日本中が彼に恋をした時代
2015年、ミルコ・デムーロがクリストフ・ルメールと共にJRAの通年免許を取得したあの春、日本の競馬界は希望に満ち溢れていました。それ以前からも短期免許で来日し、ネオユニヴァースで二冠を制し、ヴィクトワールピサでドバイワールドカップを制し、天皇賞で陛下に対して跪いたあのミルコが、いよいよ「日本の騎手」になる。
通年免許取得からの4年間は、まさに「ミルコ・デムーロの時代」でした。
- 2017年:年間171勝、勝率25.7%(JRA最高勝率)、複勝率50%超え。
この数字を見てください。2回に1回は馬券に絡む。彼が乗るだけでオッズが下がり、彼が乗るだけでスタジアムの温度が上がりました。勝負所で見せる、物理法則を無視したかのような「大捲り」。絶望的な位置からでも、ミルコの手綱さばき一つで馬が翼を得たかのように飛んでくる。
あの頃のミルコは、まさに「頂点の捕食者」でした。ルメールという静かなる天才と、ミルコという動的な天才。二人が競い合うことで、日本競馬は世界レベルへと押し上げられたのです。
2. サートゥルナーリアの悲劇:狂い始めた歯車
しかし、運命は時に非情な脚本を用意します。ミルコの凋落を語る上で、名馬サートゥルナーリアとの別れを避けて通ることはできません。
無敗でホープフルステークスを制し、クラシックの主役として期待されたその直前。手綱は無情にもルメールへと渡されました。この「乗り替わり」は、単なる一走の変更ではありませんでした。それは、日本競馬界を支配する巨大な馬主組織、生産組織が、ミルコに対して「お前はもう序列1位ではない」と宣告した、冷徹なメッセージだったのです。
ミルコは感情の男です。信じていた馬、愛していたパートナーを奪われたショックは、私たちが想像する以上に彼の心を深く傷つけました。この日を境に、ミルコの騎乗から、かつての「無敵のオーラ」が少しずつ、しかし確実に剥がれ落ちていきました。
3. 「負の連鎖」という底なし沼
2019年以降、ミルコの成績は坂道を転げ落ちるように下降しました。 勝率が下がれば、ノーザンファームをはじめとする有力厩舎からの依頼が減る。依頼が減れば、チャンスのある馬に乗れなくなる。チャンスのない馬で勝てなければ、さらに評価が下がる。
かつて「天才のひらめき」と称賛された大胆な捲りという戦術は、いつしか「無謀なギャンブル」と揶揄されるようになりました。ゲートでの出遅れがクローズアップされ、関係者の間では「ミルコはスタートが悪い」「最後まで追っていない」というレッテルが貼られていきました。
かつて、パドックでミルコの名前が呼ばれるだけで沸き起こった歓声は、いつしか「今日は大丈夫か?」という不安の声へと変わっていきました。2023年には勝率7.8%まで低迷。2025年、渡米直前の成績は、夏を前にしてわずか12勝。
平日の競馬場。かつてメインレースを彩った男が、1日に2鞍、3鞍しか乗る馬がいない。調教でも誰からも声をかけられず、孤独にスタンドを見つめるミルコの背中を思い出すだけで、私の視界は涙で滲みます。
4. 断たれた「調教師への道」と、絶望の朝
ミルコは日本という国を心底愛していました。日本語を覚え、日本に家を建て、いつかここで調教師になりたいと願っていました。 しかし、そのささやかな夢すらも、制度の壁に阻まれました。
JRAの調教師試験は、すべて日本語で行われます。読み書きを含め、ネイティブに近い能力が求められるその試験内容に対し、ミルコは絶望しました。「将来への希望」が断たれたことは、彼が日本で我慢し続けるための最後の糸を切ってしまったのかもしれません。
また、騎乗機会の激減は、彼の肉体をも苦しめました。 レースや調教で毎日何頭も馬に乗っていれば、自然と体重は維持されます。しかし、仕事がなくなったミルコは、馬に乗る運動量が減り、過酷な食事制限とジム通いで無理やり体を絞らなければなりませんでした。
「努力しても、誰も見てくれない」。 「頑張っても、馬が回ってこない」。
そんな閉塞感の中で、彼はついに、第二の故郷である日本を離れる決断をしたのです。
5. カリフォルニアの再生:10歳若返った笑顔
2025年7月、ミルコはアメリカ・カリフォルニア州デルマーへと旅立ちました。それは逃避ではなく、失った「騎手としての魂」を取り戻すための聖戦(American Reset)でした。
現地での彼は、毎朝何頭もの調教に乗り、現地のエージェントと共に泥臭く営業に回っています。かつての名手たちの背中を知るトニー・マトス氏と契約し、アメリカの競馬関係者は、かつての「世界のミルコ」を温かく迎え入れました。
馬に乗り、風を切り、勝利を掴む。 デルマーの夏開催で6勝を挙げ、賞金総額も積み上がっています。何より、彼の体重は日本時代より2kg以上軽い52kgまで自然に落ちたといいます。それは彼がいかに今、馬に乗ることに没頭しているかの証です。
奥様が言った「あなたは10歳若返ったようだ」という言葉。ファンとして、これほど嬉しく、そしてこれほど切ない言葉はありません。アメリカで輝くミルコを見て、私たちは心から祝福すると同時に、日本のターフにぽっかりと空いた巨大な穴を痛感せずにはいられないのです。
6. 結び:いつかまた、あの笑顔を
ミルコ、私たちはあなたを忘れていません。 あなたがヴィクトワールピサで日本を勇気づけたあの夜を。 あなたがエイシンフラッシュで陛下に礼を尽くしたあの高潔な姿を。 あなたがドゥラメンテで見せた、誰にも追いつけない衝撃的な脚色を。
今の日本の競馬場には、正確にラップを刻む「上手な騎手」はたくさんいます。しかし、あなたの代わりになれる「情熱の塊」はどこにもいません。
あなたがいない週末のメインレース、私たちはどこか物足りなさを感じながら新聞を眺めています。あなたの「捲り」がない直線、どこか冷めた気持ちでゴールを見つめています。
どうか、アメリカの空の下で、心ゆくまで馬を愛してください。 そして、もし気が向いたなら。 いつかまた、あの無邪気な笑顔で、日本のターフに降り立ってください。
私たちは、いつまでも、いつまでも待っています。 あなたの情熱が、再び日本の風を揺らすその日を。
さよならは言いません。 Grazie, Mirco. 素晴らしい夢をありがとう。

